
日本小児栄養消化器肝臓学会の会員や本サイトを訪れた方、初めまして、九州大学病院 小児外科・成育外科・小腸移植外科の吉丸 耕一朗と申します。執筆段階で45歳、医師20年目になりました。この度、大変に貴重な機会をもらい、執筆させてもらうことになりました。
私の専門は、小児外科ですが、その中でも小児臓器移植(肝・小腸)、肝胆道領域を専門としています。小児期における肝胆道系疾患といえば、代表格はやはり胆道閉鎖症と思いますが、その他に小児外科にお仕事がある疾患といえば、先天性胆道拡張症、そして、新生児期からの胆汁うっ滞疾患の鑑別を小児科の先生方と一緒にしています。
また、葛西術後に非代償性肝硬変となった胆道閉鎖症、切除不能の肝芽腫、肝代替療法にて対応困難となった急性肝不全、内科的治療も不安定な尿素サイクル異常症やミトコンドリア病に対する肝移植を担当しています。また、短腸症候群やヒルシュスプルング病、ヒルシュスプルング病類縁疾患、その他、難治性消化器疾患に対して最後に残された治療として小腸移植があり、その手術を担当しています。
私は特に肝・小腸移植に魅了された小児外科医でありますが、この分野を選んだのは、徐々に、でした。医師になる前から、外科医になることを決めていました。
もちろん頭を使うことは好きで、考えることも好きですが、学生でのローテーションの際に内科の先生の質の高さに圧倒され、朝から晩まで脳みそフル回転は、私にはできないと思い、一方で、外科医の一日は、私の目には、体育会系で、手術という手を動かしながら、汗をかきながら、患者を救っていっているように見えました。要はノリなのですが、外科を選んでいました。
しかし、いざ初期研修医になると、外科手術の前に、心肺停止やショックの患者さんを前に救命救急の力がないと手術とか言っている場合ではない、と思い、まず救命救急の道に入りました。今でも思い出しますが、某フライトドクターのドラマの時期でもあり、激しい現場で仲間とともに過ごした毎日を思い出しますし、今でもそのマインドセットが心に根付いていますので、どこへ行くにも、「もしかしてあの人、いきなり倒れたりしないかな?」とか考える癖が抜けません。
救命救急をしている中で、専門性を高めたいと思い始めました。その中で、やはり外科医であるため、外科に戻ろうと思いました。その中で、自身の一生を賭してやり続けられる、一生モチベーションを維持できるためには相手が小児である必要があると思いました。
という流れで九州大学小児外科に入局しました。その後、どの分野を専門にするか、となりますが、最後は飲み会でした。「吉丸は肝移植ね」と言われたよう記憶しています。即、「はい」とお応えした記憶があります。清々しかったよう思えます。
ということで、たいそうな話はなく、飲み会で専門の門をくぐったことになります。面白いもので、その一夜の決定がその後の全く後悔のない人生を決めました。
どのお仕事・どの分野にも強い魅力がありますが、肝・小腸移植手術の魅力もすごいものがあります。すさまじい黄疸のあった子・輸血依存で腹水ぱんぱんの子・急性肝不全でいきなりICU管理を余儀なくされた子・まったく食事がとれず、中心静脈も枯渇してきた・肝障害もでてきた子の人生を、剥離・結紮・摘出・縫合・吻合・再灌流という一連の作業を自らの手で行い、術後、時として大変な管理も経て、治っていく様を見届けられることは、圧倒的な達成感と恍惚感を得られます。
そのような小児外科医・移植外科医人生を歩んでいたのですが、2011年当時、ふと疑問に思ったことがありました。今もそうですが、当時も日本の医療は最先端を走っていて、その恩恵の中、つまり先人のおかげで今の医療があるため、他の形の医療を知らずに医師として過ごしてゆくことは片手落ちになると思いました。そのようなときに偶然、ジャパンハートの存在を知りました。ミャンマー・ラオス・カンボジアで「医療の届かないところに医療を届ける」「出会ったこどもの人生を少しでも幸せにしたい」「こどもを親と一緒にいさせてあげたい、大切にしたい」という気持ちに大いに共感し、自身の夏休みを利用して、1週間の短期ボランティアに参加しました。夏休みを利用すれば、同僚にも迷惑をかけませんし、そこで多くの経験・手術をできれば、自身にとっても最高であるからです。結果、現地の患者さんの疾患に合わせ、集まった外科医と一緒に手術をし、その患者さんを救済でき、私自身も大きな成長をできました。
ジャパンハートでの活動が10回を超えてきたころ、ミャンマーでの生体肝移植をミャンマーの子供に対して初めて行う、というミッションが始動しました。あきらめるしかなかった命が、あきらめなくてよくなった歴史の変化を目の当たりにしました。
他にヴェトナムでの肝移植の経験等を経て、日常疾患・緊急疾患だけでなく、移植医療を通じて、海外活動として役に立てることを体感しました。
何も海外活動をすることが国内活動に比較して、すごい・えらい、ということはありません。今でもそう思います。ただ、自身がいつも上を目指して日々診療をしている中で、「わたしこのままでいいんやろか?」「わたし、何がしたかったのだっけ?」「何か忘れてないかな?」「あれ?どこかテキトウになっていないかな?」などなど、ふと疑問に思ったり、自身がわからなくなってきたとき、初志を忘れそうになった時、環境を変えること、外から見てみることは、面白い選択肢だと思います。
そのような気持ちから、今度は、基礎研究でもいろいろな世界をみたいと思い、所属する九州大学小児外科にて大学院生として、ヒルシュスプルング病類縁疾患に対して腸管神経節細胞を乳歯幹細胞で増やすというプロジェクトの中で一定の成果をあげることができたタイミングで米国オハイオ州のシンシナティ小児病院メディカルセンターに留学する機会を頂けました。研究テーマは胆道閉鎖症の肝線維化に関するメカニズムやiPS細胞を用いた胆管オルガノイドの研究でした。
右も左も上も下もわからないまったく新しい環境に家族4人で飛び込み、それまでそこそこ培ったと思っていた経験や自信など全く通用しないところから、生活が始まりました。しかし、米国での大きな空・人々の温かさ、一方で、危険と隣り合わせ、実力が評価される世界であり、情ではなくビジネスの世界でもある側面を肌で感じ、厳しい世界・精神的な状況において、むしろ、どれだけ人と人の繋がりがありがたいか、がよくわかりました。
そのようななか、徐々に基礎研究の世界においても小児外科医・移植外科医として培ったテクニックが、所属したラボのボスに必要とされ、少しずつ自身のアイデンティティを確立できてきました。一流紙に多くのPublicationを持つボスとの異文化コミュニケーションの中で、点と点がつながる瞬間の恍惚感を感じることができ、ひらめき・真実に近づける喜びを感じる瞬間を何度も感じることができました。
このような紆余曲折を経て、医師20年間の間、比較的長い基礎研究期間に身を置いたこともあり、外科医としての劣等感から苦しんでいますが、今は、小児外科医・肝小腸移植外科医として日々手術をさせてもらいながら、大学院生から始まった再生医療のプロジェクトや留学先でのプロジェクトを今も継続させていただける環境におり、日々を楽しく過ごしております。
最後に、小児栄養消化器肝臓分野に興味がある若手の方々にメッセージです。この分野は、多彩な臓器をカバーし、内科学と外科学が近い位置で融合している大変エキサイティングな分野です。ぜひ一緒にお仕事をしてみませんか?

